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東京書芸学園スタッフブログ

ピアノ

2016/08/12

「あ、不折ですね」


花田先生のご自宅で用談後に扁額を見上げた。



「うん、たまたま手に入ってね。大房先生もちょっとほめていたな」


花田先生はこの夏の入り口で体調を崩されてずっとご自宅に休まれていた。前日にお電話でお許しをいただいて、私は仕事上の用談を帯びて新宿駅から快速でご自宅へ向かった。



日ごろ学園にお越しになるときは常にスーツを纏って風のごとくすっと身を運ばれる先生は、この日ゆるりとした身づくろいの中に疲弊の影を宿されていた。

しかし私の話に頷きながら耳を寄せてくださる俯き加減の佇まいには墨客の風格が現れていた。
構わない髪、こけた頬、傾けた半身、その先生が言葉を発するごとに仕事部屋の空気がふわりと揺れていた。

ご相談の用向きを終えて、隣室でずっとこちらを見下ろしていた不折の書をほっと振り返った。





 中村不折。


洋画家、書家。夏目漱石の「吾輩は猫である」の挿絵を描いて有名。書家としても名高く、書道博物館を創建。書風も一家を成し、不折の書だとすぐ見てわかるほど。森鴎外の墓碑銘と森林太郎墓の文字は不折の筆。


 大房先生がいつか一幅の絵を見せてくださったことがあり、「不折だよ」と教えてくださった。



月夜に山道を歩む農夫が描かれていたが、さらに先生はこう言われた。

「不折のね、空蝉が描かれているんだよ、ここに。驚いたよ」
ここで使われた空蝉は、魂が抜けた状態の意、転じて幽霊を指している。先生は直接言わずに空蝉と言われたのだが、さて、どこに描かれているのかがわからない。



月を背負って農夫が崖路を歩いている。一歩踏み間違えれば真っ逆さまの崖に不折の姿が現れているというのだが、それがわからない。しかし見る人には見えるとなるとかえってぞっとする代物の一幅。


 怪談は夏の風物詩なのでこういう話もお許し願って、森鴎外に「心中」という短編がある。宿屋で働く娘が冬の真夜中に同僚を誘ってトイレへ行く話だが、風のうなりや中庭に雪の落ちる音に驚きながら廊下を進む描写がぞっとして鋭い。



怪談ではないがぞっとしない話は夏向きといえばいえる。一度お読みください。
鴎外の子供で名前は忘れたが、作文を学校に提出したら先生に呼ばれて、お父さんに書いて貰ったのかいと言われ、返事にいわく「失敬な、父はこんなに下手ではありません」




短編の名手にまた芥川龍之介がいる。

「ピアノ」という短編ともいえない原稿用紙にして4枚程度の掌編がある。


紹介すると、ある秋の日に用談を終えた「わたし」は横浜の山手を歩いていた。
山手といっても頃は大正14年で震災後2年はまだ荒廃した街並みで、その中をわたしは駅へ向かっていた。

「おまけに月も風立った空に時々光を洩らしていた。」芥川らしい文章で状況が説明されていく。

すると突然ピアノが一音、誰かが打ったというより触った音が聞こえて、わたしは荒涼としたあたりを眺めまわした。

廃屋の中から聞こえてくるピアノの音、いったい誰が、その正体は?


こう書くと怪談じみているが実はそうではないのです。ご安心ください。この先はぜひ作品をお読みください。文庫にはないと思います。全集でないとむつかしいかもしれません。


どこにも見当たらない? まさか。幽霊作?




花田先生、今はすっかり復されて、また風のごとく授業にいらしています。


指導部の村上でした。

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