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東京書芸学園スタッフブログ

再び町の文字

2011/10/18

こんにちは村上です。
次回は秋深い頃にお会いするので、年賀状の表書きの書き方を少し披露するつもりでいましたが、案外に早く載ることになりましたので、町の文字を再びご紹介します。

 

いずれも京都で見つけた文字で、はじめに、これを見てください。

 

写真1.JPG

これは徳大寺樋門の遺構といって、有名な桂離宮の脇に安置されています。

 

写真2.jpg

左が桂離宮。右に桂川が流れています。

 

桂川から離宮内庭園池に引水するために設置されたもので、流域整備の変遷により樋門は廃止となり、その一部が残されていると解説書にありました。

 

写真3.JPG

 

写真に写っている煉瓦のアーチが水路となっていた所です。
さて、見ていただきたいのは煉瓦の上に書かれている文字です。
なんと読みましょうか。
ちなみに昔のことですからこれは右から読みます。
こう記されています。
「明治四拾壱年五月改築」
「明」の形は相当古い形で、今は日へんのところがかなり込み入った形をしています。
「拾、壱」はお札などで見かけたことがあると思いますが、
「年」は、私が記憶する限りでは、この文字を使用した表記はここだけです。のぎへんの形に干を書いて、その昔は「年」を表していました。こういう文字を「書写体」といいますが、形的に頷けるところはありますね。なるほど、これは「年」です。この形から今の年が生まれたといってよいでしょう。

 

次にお見せするのは、これです。

 

写真4.JPG

これは清水寺近くの六波羅蜜寺界隈で見つけた文字ですが、文字そのものはどうということはないのですが、これがどこに表記されているかといいますと、

写真5.JPG

人家の二階に表示されていました。
こうして写真にすれば何とかいてあるかわかりますが、実際には通りからは小さくて分かりません。つまり用を成していないのです。どうしてこんなところに表記したのでしょう。何か事情があってこんなことになったのだと思いますが、町の片隅にはこんなこともあるものですね。

 

写真6.JPG

 六波羅蜜界隈

 

人目にふれて知らせるべき文字なのに、隠れたところに表記されて消えかけている文字。なにか時の流れを感じさせて無常です。人目にふれず現れて消える。寂寞たる文字でした。

 

さすがに京都はこうした様々な文字が残っています。歴史があるからだと言えそうです。
今回は簡単にご紹介しました。
次回はいつになるかわかりませんが、時期がよければ年賀状の表書きをご紹介します。では、その時まで.........

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